2015年04月25日

吉田松陰直筆写し勝ち守り。ゆかりの東京松陰神社を訪ねました

こんにちは

めぐる@神社めぐりナビゲータです



2015年度のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」では

ヒロインは吉田松陰の妹ふみ(文)。


彼女の

幕末から激動の長州藩という枠組みの中から

明治維新を迎え、

生き抜いたさまを展開していくようですが


兄である、吉田松陰は

めぐる@神社巡りナビゲータが

かつて山口県を訪れた時には

地元の方は誰もが「松陰先生」と敬意を込めて

呼んでいました。



松陰読本なる

吉田松陰の一生を
小学生にわかるように解説した
年譜や図表、写真のたくさんはいった
小冊子があります


めぐる@神社めぐりナビゲータも

一冊買い求めましたがとてもわかりやすくて

松陰読本表紙
松陰読本


「今日よりぞ幼心をうち捨てて人となりにし道を踏めかし」

の言葉を胸に

小学校に通いだすというのも

なにか心打たれるものがあります


また

松陰読本の79ページにある

士規七則には

現代人にこそ読んで頂きたい心得が

つまっているような気がします




吉田松陰は安政6年10月27日に

安政の大獄に連座した罪で

江戸伝馬町の獄中にて

数え年で30歳の若さで処刑されてしまうのですが



父、叔父、母に別れの言葉としてしたためた

「親思う心にまさる親心けふのおとずれ何ときくらん」


処刑前日に書き上げたという

門下生にあてた『留魂録(りゅうこんろく)』の巻頭の


「身はたとひ武蔵の野辺(のべ)に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」


これらは

辞世の句として詠まれたといわれていますが

一度は聞いたことがあるのではないでしょうか




処刑された4年後の文久3年には、

門下生であった高杉晋作、伊藤博文らによって

東京は世田谷若林の地に改葬されたことは

ご存じですか?



というのは若林という
この土地が長州毛利家のお屋敷のあった
抱地(かかえち:農民より買い上げした土地)で
あったからだということです


そこで

静かな
東京世田谷の「松陰神社」訪ねてきました。


なんと

こちらの鳥居は朱塗りではなくて

真っ黒なつや消しの地味なものなのです

東京松陰神社の黒塗りの鳥居
東京松陰神社の黒塗りの鳥居


お電話で、なぜ黒いのですか?と
のちほど社務所にお尋ねしたら

「景観との調和」と言うことだそうですが

シックな感じがして

いかにも
吉田松陰らしい格調ある構えだと思いました



いつぞや

めぐる@神社めぐりナビゲータが

萩の地で撮影した

松陰神社はこんな古びを帯びた

木の鳥居でした。

山口県萩市の松陰神社鳥居
山口県萩市の松陰神社鳥居


やはり朱塗りでなかったのは
当時の世相をおもんばかったからでしょうか



吉田松陰は

近年では学問の神として崇敬を集めていて

参拝の人が絶えないそうです

まして、大河ドラマの影響なのか
これまでになく年代を問わず
多くの人が訪れているようです


東京世田谷の松陰神社には

山口県の「松下村塾」のそっくりの

建物が建てられていてびっくりしました。


再現建築だそうです。

萩市で
めぐる@神社めぐりナビゲータが
見たのとおんなじでした。


天保11年、吉田松陰が11才の時には

藩主であった毛利慶親公に

武教全書を講義したという早熟ぶり。


日本古来の山鹿流兵学を修めながらも

西洋兵学に触れ、鎖国状態であった日本の

将来を案じて、当時は御法度であった

黒船に密航を企て失敗に終わるも

「松下村塾」

で将来の日本政府を形作る人物に
その意志を伝え
明治維新を担う人材を多く輩出させた
歴史的な影響力というのはたいしたものです。

早逝の行動家には頭の下がる思いがします


現在の社殿は昭和2年から3年にかけて
造営されたもので
なかなか見応えのある立派なものです


めぐる@神社めぐりナビゲータは
暇があると
松陰読本を読んでおります


秀才と言っても間違いない
吉田松陰にちなんで

合格祈願に参拝する方はとても多いようですが


神社では

吉田松陰直筆写しの「勝」の

文字をいただいたお守りがあります。

吉田松陰が自分を

「自分の弱い心に負けないように」と

戒めた願いが込められているとのこと


勝守
(かちまもり)
勝絵馬
(かちえま)

ともに人気があるようです



●今日の神社●

東京松陰神社
ご祭神:吉田寅次郎藤原矩方命
 (よしだとらじろうふじわらのりかたのみこと)
住所:東京都世田谷区若林4-35-1

神社開門時間:朝7時から夕方5時まで

交通手段:京急世田谷線
   「松陰神社前駅」下車徒歩約3分程度

posted by めぐる@神社めぐりナビゲータ at 17:31 | 勝ち守り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月23日

土俵もある??びっくりの世田谷八幡宮にお参りしてきました

こんにちは

めぐる@神社めぐりナビゲータです


あまりに蒸し暑い日が続くので

ちょっと木立の多いところへと

世田谷八幡宮さんへお散歩がてらお参りをしてきました。

世田谷八幡宮

最寄駅は東急世田谷線の宮の坂という駅ですが

鉄道マニアには玉電で親しまれているやつですね




御祭神は八幡大神(応神天皇)、仲哀天皇、神功皇后を

お祀りしていますが

ご由緒としては

寛治五年(1091年)後三年の役(1083〜87)の帰り路に

源義家がこの地で思いがけぬ豪雨に会い、天候回復を待っていた

時に、これまでの戦勝は日ごろ氏神様として奉っていた

八幡大神のご加護によるものだと信じ

大分県の宇佐八幡宮よりご分霊いただき

この宮の坂の土地に祀ったのが起源といわれているそうで

近くにある世田谷城(なあんとお城があったのだそうな)

を治めていた7代目の吉良順康という方が社殿を再興して

大いに発展させたということです。



八幡宮は武士の守り神として

厚く信仰されてきたことからしても

勝負ごとに御利益がある神様として

やはり尊ばれているのですね。



近くに、緑の多い世田谷城址公園があります。

背丈の高い木が多くて、なんかいまでもカブトムシなんか

いそうな雰囲気でしたね


この世田谷八幡宮では

豊作・凶作を占うために奉納相撲が盛んにおこなわれ、

いまでも境内には立派な土俵がありました。




もともと、相撲というのは神事で、豊作祈願の意味が

あって、全国の神社でも多く奉納相撲というのは

あったようです。ただ、土俵が残っているのは

今回、初めて目にしました。




また、境内の一角には

力比べにつかう「力石」というつるっとした丸い形状の

石がごろごろ鎮座しています。

tikaraishi.jpg



ちなみに、この石ひとつで重いものは四十八貫もあるらしく

およそ180Kgということですから、

本当にこんなの持てる人いるのかと

驚くばかりです。


こちらの境内は都会の中では驚くほど緑の多い

広いところですので

のんびり散策するにはとても気分がいいですよ。


所在地 東京都世田谷区宮坂一丁目26番3号
主祭神 八幡大神(応神天皇)
    仲哀天皇
    神功皇后
posted by めぐる@神社めぐりナビゲータ at 15:02 | Comment(0) | 勝ち守り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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